もし明日

”明日、死ぬような気持ちで”とか、明日、死ぬとしたらどうするか というのを、一日を大事にすることや、懸命に生きることを考えるように仕向けるために言われる。
でも、実際にそうなったとしたらその時の一瞬一瞬の時間の流れを楽しむことに意識を向けるだろうと思う。

もし、時間が惜しいからといろんなことを無理矢理詰め込んでいっても、不細工に組み上がった機械のように空中分解してしまうように思う。

むしろ必要なのは、あたかも永遠があるようにしっかりと紡ぎ出せることではないだろうか。

すべてを取り入れて永遠に生きる覚悟を決めて生きた方が、勘弁して欲しい早めに死にたいという気分になるかもしらないけど。

それでも、後悔はしないようにしたいなぁ。

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でも、岡潔を友だちに勧められて読んでいるうちに、理屈ではわからないけれど、「ああ、人は死なないんだ」という気持ちになったんです。
彼の生き方を見ていると、死ぬという前提で、その死に向けて時間を配分し、「この時期はこれをやって、次にあれをやって…」とは考えておらず、「死なない人生をどう生きて行くか」という感覚で生きていた。
数学は「死なないでいいんだ」と思わないとたぶんできません。
http://nonsavoir.com/pre01_01_02.html